言葉の独り歩き

推し活という言葉

最近多用される 推し活 という言葉。

何かを好きになるのはとてもいいことだと思います。生きる活力になります。毎日楽しくなります。

でもなんだか最近この言葉の押し売り感を感じてます。

なんとなく好き。とか広く浅くなんでも好き。みたいなことが許されない感じ。

SNSの普及により、どんな形で愛を表現しているかを周りに知らせることができるようになり、ただ『好き』という感情を持つだけではいられない。『好き』を何かで表さなければならない。

好きという感情表現のマウント合戦。明確に誰と戦うわけでもなく、なんとなく大衆に向けてのマウント合戦。

なんだか大変だなぁ、と。

そこにメディアや販売店も乗っかって推し活のススメとか、推し活グッズ作成とか今や推し活時代。

商売やる側はそりゃお金になると思ったらやるでしょう。

メディアは話題になると思ったら取り上げるでしょう。

でも、ただひっそり好きでもいいんだよ。

グッズ持ってなくてもいいんだよ。

と、思ってしまう。

誰かと比べたり、マウント取り出すと好きなものに対して不純物が混ざるというか、違う感情も乗っかってしまう。そんなことは必要ない。

好きで聖地巡礼するならそれでいい、グッズが欲しいならそれでいい。

自分がどうしたいのかで決めてほしいな、と老婆心ながら思ってしまうのでした。

ただ、好きなもの(人)が活躍し続けるにはお金が必要なのも事実。

無理ない範囲で応援していきたいですね。